2025年10月15日、23時。
岩手県大船渡市の夜は、都会の喧騒とは無縁の静寂に包まれている。聞こえるのは時折通り過ぎる車の音と、手元でかすかに駆動音を立てる真新しいゲーム機のファンだけだ。
そのディスプレイには、見慣れたアイコンと「このソフトは、まだあそべません。」の無慈悲な文字列が浮かんでいる。これから配信が開始されるのは、ポケットモンスターシリーズ最新作『Pokémon LEGENDS Z-A』。私の目の前にあるのは、数ヶ月前にようやく手に入れた「Nintendo Switch 2」だ。
42歳。社会的に見れば立派な中年であり、思慮深く、落ち着いているべき年齢なのだろう。しかし、今の私はどうだ。まるで聖夜にサンタクロースを待つ子供のように、時計の針を睨みつけ、言いようのない高揚感に包まれている。なぜ、これほどまでに心躍るのか。それは、このゲームが単なる娯楽ではなく、私の人生というセーブデータに深く刻み込まれた、タイムマシンのような存在だからに他ならない。
私の冒険の始まりは、今から29年前、1996年に遡る。
当時13歳、中学一年生の私は、近所のゲームショップの中古コーナーで一枚のソフトと出会った。パッケージに描かれた、翼を持つトカゲのようなモンスター。『ポケットモンスター 赤』。当時、我が家に携帯ゲーム機はなく、テレビに接続してゲームボーイのソフトが遊べる「スーパーゲームボーイ」が、私の相棒だった。
四角いフレームに切り取られたカラーと呼ぶには心許ないドット絵の世界。だが、そこは無限の可能性に満ちていた。マサラタウンから一歩踏み出した時の期待感。初めて捕まえたポッポへの愛着。育てたポケモンが進化する瞬間の感動。全てが新鮮で、私は寝食を忘れてカントー地方を駆け巡った。
当時のインターネットはまだ黎明期。「ミュウはトラックの下にいる」などという都市伝説がまことしやかに囁かれ、我々は雑誌の隅に載っている様な裏技に夢中になった。私もまた、友達から聞きかじった「セレクトバグ」に手を染めた一人だ。特定の操作で道具を増やし、コイキングをミュウに変え、レベルをいとも容易く100にする。今思えばゲームバランスも何もあったものではない胡散臭い秘技だったが、世界のルールを自らの手で捻じ曲げるような、あの得も言われぬ背徳感と全能感は、少年時代の忘れがたい記憶の一つだ。
妹とコントローラーを奪い合いながら、時に協力し、時に競い合い、旅を進めた。その後、町の「デンコードー」で『ピカチュウ版』を手に入れ、後ろをついてくるピカチュウの健気さに心を和ませた。あの頃は、ポケモンが私の世界のすべてだった。
しかし、永遠に続くかと思われた蜜月にも、終わりは訪れる。
世間が、そして友人たちが、徐々にポケモンを「子供向けのゲーム」として扱い始めたのだ。話題はもっと刺激的な格闘ゲームや、難解なRPGへと移っていく。私もその空気に抗えず、いつしかポケモンから距離を置くようになっていた。
金、銀、クリスタル。ルビー、サファイア、エメラルド。世間では次々と新しい冒険が始まっていたが、その報を私は別なゲームにのめり込みながら聞き流していた。こうして、私の人生におけるポケモンとの、一度目の、そして非常に長い断絶期間が始まった。
再会は、実に唐突だった。
ニンテンドーDSが一世を風靡し、一家に一台どころか一人一台が当たり前になっていた頃。私は当時、工場勤務の傍ら、ふと魔が差したように『ポケットモンスター ダイヤモンド』を購入した。
電源を入れた瞬間、息を呑んだ。
モノクロに近いドット絵しか知らなかった私にとって、DSの液晶に広がるシンオウ地方の光景は、衝撃以外の何物でもなかった。鮮やかな色彩で描かれたポケモンたちが、生き生きと動き回っている。キッサキシティに降り積もる雪の表現、テンガン山の荘厳さ。私は浦島太郎のような気分で、その圧倒的な進化に打ちのめされた。
20代も中盤に差し掛かっていたが、熱中度は少年時代を凌駕していたかもしれない。当時働いていた工場の休憩時間、同僚たちが談笑する中でDSを開き、夜勤の仮眠時間には毛布にくるまってポケッチを眺めた。失われた時間を取り戻すかのように、私は貪欲にポケモンを求めた。そのままの勢いで『プラチナ』をクリアし、過去作である『エメラルド』、リメイク版の『ソウルシルバー』にも手を出した。『ブラック』、『ホワイト』、『ブラック2』、『ホワイト2』、そして『X』へ。気がつけば私はアラサーになっていたが、ポケモン図鑑の完成を目指す情熱に、年齢など些末な問題でしかなかった。
当時流行していた「ニコニコ動画」で、有志が制作した「萌えもん」なる改造ポケモンのプレイ動画を眺めては、創作意欲のあり方に感心したりもした。
幻のポケモンを手に入れるため、いい歳をして独り映画館に足を運び、そこで出会った「ゾロアーク」の不器用な親子愛に心打たれた。今でも、彼女は私にとって一番のお気に入りのポケモンだ。
だが、人生はままならない。
三十代前半、仕事が多忙を極め、同時に将来を考えて婚活にも本腰を入れ始めたことで、私のゲーム時間は物理的に消失した。そして私は、人生最大とも言える過ちを犯すことになる。
生活費の足しにと、それまで集めたゲームソフトをまとめて売りに出した際、何の迷いもなかったと言えば嘘になるが、私は『ポケモンX』のカセットを手放してしまったのだ。そこには、長い年月をかけて私が育て上げた、全てのポケモンたちが詰まっていたというのに。何百時間という旅の記録、交換で手に入れた大切な仲間、映画館で受け取った特別なポケモンたち。その全てを、私は二束三文の金と引き換えた。この後悔は、今もなお私の胸に澱のように沈殿している。あの時の自分に会えるなら、本気で説教してやりたい。
余談だが、婚活中に出会ったあるオタク美女が「サン・ムーンのシナリオは最高ですよ!」と目を輝かせて語っていたことがある。その時私は、自分が離れている間にも、ポケモンの世界は豊かに広がり続けているのだと、少しの寂しさと嬉しさをないまぜにしたような、不思議な気持ちになったのを覚えている。
本編からは離れても、私とポケモンの縁が完全に切れることはなかった。『ポケモンGO』だ。サービス初日に登録し、田舎の決して多くはないポケストップを巡り、私は細々とポケモンを捕まえ続けていた。それはまるで、遠く離れた故郷と繋がる、一本の細い糸のようだった。
完全な「帰還」を果たしたのは、結婚し、人生にいくばくかの余裕が生まれた数年前のことだ。Amazonで、追加コンテンツが全て収録された『ソード』のパッケージが目に留まった。軽い気持ちで購入し、ガラル地方へと旅立った私は、再びポケモン世界の虜になった。
グラフィックも、システムも、私が知るものから隔世の感があるほど進化していた。それでも、草むらから飛び出してきたポケモンを捕まえ、手持ちの仲間と共に育て、ジムリーダーに挑むという根幹の喜びは、何一つ変わっていなかった。ポケモンは、一度は世界を捨てた裏切り者の私を、何も言わずに、優しく受け入れてくれたのだ。
そこからは早かった。世間では賛否両論だったダイパリメイク『シャイニングパール』も私には懐かしく、革新的なシステムに驚かされた『Pokémon LEGENDS アルセウス』、そしてオープンワールドの新たな地平を切り拓いた傑作『スカーレット・バイオレット』と、私のポケモントレーナーとしての人生は、再び力強く鼓動を始めた。
そして、今。2025年10月15日、23時59分。
テレビの画面には、ダウンロード済みの『Z-A』のアイコンが輝いている。
13歳だった私、工場でDSを握りしめていた私、カセットを売って後悔に沈んだ私。過去の全ての私が、今の私の後ろに立ち、固唾を飲んで画面を見守っている。
まもなくだ。午前0時を告げる時計の音と共に、私の新たな冒険が、再びここから始まる。
ポケモンは、ゲームでありながら、もはや私の人生の一部なのだ。
さあ、行こうか。カロス地方、生まれ変わったミアレシティへ。


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